現代美術家・天明屋尚「ネオ日本画・BASARAを志す」-ARTFULLインタビュー

「ネオ日本画」を標榜し、華美(過美)で覇格(破格)な美の系譜を”BASARA”と命名。
2020年末、現代美術家でありながら運動体であり事業体でもある「現代美術庵」を立ち上げ、コマーシャル・ギャラリーのアドバイザーを務めるなど多岐に渡り勢力的に活動されている天明屋さんにとって、理想的なアートとは。
現代美術家・天明屋尚さんに詳しくお話をうかがいました。


天明屋尚

天明屋尚 /   Hisashi Tenmyouya

1966年東京生まれ。
レコード会社のアートディレクターなどを経た後、現代美術家として活動。日本伝統絵画を現代に転生させる独自の絵画表現を「ネオ日本画」、華美(過美)で覇格(破格)な美の系譜を「BASARA」と宣言。第17回シドニー・ビエンナーレ。第6回岡本太郎記念現代芸術大賞展優秀賞受賞。2020年「現代美術庵」設立。


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ネオ日本画


Q. 神や仏像、戦国、傾奇者など天明屋さんの作品は日本伝統絵画を描かれています。
このようなモチーフに出会われた切っ掛けは何だったのでしょうか。
またどのようなところに惹かれたのでしょうか。

21歳の頃に古本屋で、幕末明治に活躍した日本画家・河鍋暁斎の本に偶然出会ったのが切っ掛けです。激動の幕末明治と言う時代に権威にあらがう作品を描いたりと反骨精神旺盛な画家です。そのアナーキーさに惹かれました。暁斎は狩野派の正当な作品は勿論、浮世絵や仏画、劇画、狂画、席画、神話といった様々なものを沢山描いて残しています。

何でも器用に描きそれがまた上手い。そんな所にも惹かれました。


スタジオ制作風景

Q. ご自身の活動において影響を受けた作家、人物などはいらっしゃいますか?

河鍋暁斎は勿論、暁斎と同時代に活躍した日本画家・狩野芳崖のビビットな色彩感覚と細密な線描や、同時代の浮世絵師・月岡芳年の現代のマンガに繋がるような躍動感溢れる動きや繊細な運筆。

葛飾北斎の魔術的な迫真性。現代美術の祖・マルセル・デュシャンの革新的なレディ・メイド概念などには影響を受けました。

Q. 独自の絵画表現である「ネオ日本画」を標榜され、国内外から高く評価されておりますが、「ネオ日本画」へ至るまでの経緯やそのコンセプトを改めてお聞かせいただけますでしょうか。

私はアクリル絵具を主に使用し、金箔を支持体にする事も多く、「岩絵具で描かれているのですか?」とか「これは日本画ですね!」と言われることが多々あり、ちゃんとした作品説明の必要性にせまられ、そこで日本画と言う概念を更新するべく新たな概念として考案してみようとなったのが経緯です。

「ネオ日本画」とは、近代の洋画に対する対概念としての役目を終え、現代の日本画が岩絵具・膠・墨といった画材にこだわるしかない立ち位置の形骸化に対するアンチテーゼとして考案しました。むしろ画材にはこだわらずに、アクリル絵具等の新素材も用いて、輪郭線などの線描表現、装飾性・象徴性・遊戯性といった日本美術の諸要素を導入した新ジャンルとして提唱しています。内容面では、日本美術の古典的なエッセンスを引用して現代を活写する、現代の日本画を志しています。

「ネオ日本画」は、明治時代以降に創られた「日本画」という概念をいったん停止して、近代から現代まで続く画壇のヒエラルキー構造から離脱するための装置であり、現代日本における絵画表現を考える上であり得る立脚点の一つです。
そして「ネオ日本画」においては、日本画という概念が成立する以前の近世の日本絵画の各流派の表現スタイルをむしろ範として、それらの現代的翻案を試みています。端的に言って、浮世絵をはじめ各流派のスピリットと世界観を現代に継承、発展させたのが「ネオ日本画」です。


「虹神」
1000x700mm 2018 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木、etc

BASARA


Q. 天明屋さんは権威主義的な美術体制に対して絵で闘う流派「武闘派」を旗揚げされています。
天明屋さんにとっての理想的なアートとはどのようなものなのでしょうか。

「武闘派」は日本伝統絵画の狩野派や円山派、土佐派などの流派に並ぶべく、それらをもじって命名した言葉遊び的な流派です。
私にとっての理想的なアートとは「BASARA」。

「BASARA」とは私が考案した概念で、もののあわれや、侘び・寂び・ZEN、あるいはカワイイやオタク文化。これらのどこかナイーブな従来の日本像を、リアルで鮮烈な原色で浮上させたのがBASARAです。都会の夜に輝くネオンの怪しい魅力、そんな日本のストリートに息づく文化から照射することで、従来の日本像とは異なる新しい日本像を描いてみようというのがBASARAです。
BASARAとは、これまでのステレオタイプな日本像に、貴族文化とも、大衆文化とも異なる第3の存在、武人的な日本のストリート文化の地平から、新たな日本の自画像、素顔を描こうとする試みです。


「武士道シリーズ 宮本武蔵鵺退治乃図」
 594x841mm 2020 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木

またBASARAは、今日も世界のどこかで起きているであろう、マジョリティに対するマイノリティからの宣戦布告です。世界の多様化が進む一方で、地域が発展すればする程グローバル化が侵食し、地域のあらゆる文化が巨大資本に飲み込まれる形で均一化し、地域性や固有の文化が希薄化して行くという矛盾。そうした矛盾に満ちた消費社会においてBASARAははたして地域固有の「歴史」や「伝説」を現代に蘇らせることができるのかという挑戦です。
そしてまた印象派に広範な影響を与えた浮世絵をはじめとするジャポニズムが横軸とするなら、戦国、幕末、現代を縦横無尽な形で取り込むBASARAは縦軸であり、BASARAはジャポニズムを補完し、日本文化の理解にも新たな光を当てるでしょう。BASARAとは、日本内部から突き破る美の黒船であり、キャンバスに刃を突き刺し、真っ赤な鮮血がほとばしる。そんな光景がBASARAです。

岡本太郎や橋本治らが提唱した「弥生的」・「縄文的」と言われる日本美術の2分法を継承しつつ、この「縄文的」なるものを発展的に拡充し、神話の時代から現代までを歴史的につなぐ試みがBASARAと言えます。その根本には、繊細で優美な「弥生的」に対し、豪快で野性味ある「縄文的」が下位に置かれがちという、伝統的な日本美術の歪んだ美意識に対する問題提起があります。
近代における「日本画」というジャンルの誕生は、言わば日本美術における天孫降臨でした。近代以降の「日本画」は突如、天から降って来た西洋美術の価値観に並走することを求められ、西洋画のマチエールやモダニズムに対抗することを余儀なくされていきました。


「武士道シリーズ 宮本武蔵対不動明王乃図」
 594x841mm 2020 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木

結果としては以降の日本美術の価値観において、先述した「弥生的」な美の系譜は、西洋モダニズムに呼応しうる優等生として優遇され、支配的となり、「縄文的」な美の系譜が持つ祝祭性や民俗性、土着性は、前近代を思い起こさせる呪縛として屈服させられることとなります(かつての天津神と国津神の関係のように)。しかし、詫び・寂びや、禅・茶道が持つ情緒性だけが日本文化であるはずもなく、満開の桜を愛で、大空を彩る花火に酔いしれ、絢爛な神輿で活気づく霊性、祝祭性もまた日本文化の一側面に他なりません。

端的に言ってBASARAとは、近代日本が捨象した「祝祭」なのです。


信仰と暴力はコインの表と裏


Q. 千手観音がナイフやライフルを持つ「ネオ千手観音」という作品がありますが、日本の伝統的な仏像と現代兵器を組み合わせは「ネオ日本画」を掲げる天明屋さんのまさに代表作だと感じます。
作品のインスピレーションを得るために、普段からどういった事をされているのでしょうか。


「ネオ千手観音」
2273×1620mm 2002 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木

2001年9月11日、アメリカで史上最悪の同時多発テロが起きました。偶然にも「ネオ千手観音」を制作し始めたのはその頃です。以前からこの作品の構想はありました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地をめぐる争いは信仰心が暴力へと変容しその結果、多数の人々が犠牲となって来ました。そのような信仰と暴力はコインの表と裏のように、対極的でありながら表裏一体である事を、伝統的な仏画の様式を借りて表現したいと考えました。

このように宗教問題や戦争、同時代の社会問題などから着想を得る事もあります。日本の歴史や文化から作品が生まれる事も多いです。特にアンテナを巡らせている訳でもなく、ニュースや身近な所から作品は出来上がって行ったりします。


RX-78-2 傾奇者 2005 Version

―――香港で開催されたクリスティーズのオークションで競売に掛けられ481万香港ドル(約6400万円)で落札された、
機動戦士ガンダムをモチーフにした「
RX-78-2 傾奇者 2005 Version 」の作品についてお伺いします。――


Q. まず、どういった経緯で「GUNDAM 来るべき未来のために」展に参加されることになったのでしょうか

森美術館の学芸員を辞めてその後にインディペンデントキュレーターとなった、今は亡き東谷隆氏からオファーがあり参加しました。彼が森美術館を辞めてから1番最初に手がけた企画展だったと思います。彼は現代美術とGUNDAMの展覧会なんていかがなものか?と悩んでいたようですが、ただ美術家達に新作を発注するだけではなく、展覧会としてコンセプトがしっかりした企画展でした。近年はドラえもん展などで当たり前のように現代美術とマンガ作品がコラボ展をしているのを見かけますが、「GUNDAM 来るべき未来のために」展は先駆的、先鋭的な企画展だったと思います。
この展覧会には2メートルx2メートルの同サイズ2点を実は出品する予定でした。ガンダムが右に位置しザクが左に位置する予定でしたが、その頃は多忙だった為に実現はかないませんでした。


「RX-78-2 傾奇者 2005 Version」
 2000×2000mm 2005 ブラックジェッソ、アクリル絵具、金箔、木

Q. 作品を目にするとまず飛び込んでくるのが、機体に施された入れ墨と、腰の辺りに巻き付いている龍の姿ですが、それぞれどういった事を意図しているのでしょうか。

ガンダムを単なる2次元世界のキャラクターとしてフラットに記号的に捉えるのではなく、龍と刺青が象徴する日本社会のリアルな一断面を加味することで脱構築し、今ではもはやある種の「神話」(記号)と化してしまったガンダムに、再びガンダム創生時のリアルで斬新な身体感覚を蘇らせる「マジック・リアル」です。

「マジック・リアル(魔術的迫真性)」とは、BASARAの美学の特徴の一つで私が考案した概念です。BASARAは、時代の最新の異風やモードを取り込む性質があり、と同時にそれは本来の文脈とは切り離され、あくまで日本のストリートの文脈で斬新な形でカスタマイズされます。そうしたカスタマイズは騒々しい現実世界のノイズに満ちており、そこには「はみだし者」(外部)の目線、異界の視点からの切実な訴求力が盛り込まれます。この点、現実世界との隔絶を強調するヴァーチャル・リアルとも、ノイズに満ちた装飾を極力排除し、「現実の写し」を理想とする自然主義的なリアリズムとも異なります。

こうしたBASARAの特徴を「マジック・リアル」と名付けました。そして、このマジック・リアルは、2次元とも3次元とも言い難く、形骸化した記号やコードが脱構築され、記号と現象が化学反応を起こす位相空間に成立しています。 その意味では、世界的に有名な北斎の「大波」もまた独特の魔術的な迫真性をたたえるマジック・リアルと言ってよいでしょう。北斎は、尾形光琳の「波濤図屏風」にあるような日本の伝統的な波の文様表現に洋風画法の写実性を取り込み、カスタマイズして「大波」を生み出しました。

美術史家の辻惟雄氏は『奇想の図譜』の中で北斎の「大波」が、観察による写真的な写実性を超えて、そこに尋常ではない迫真性があることを指摘しています。「北斎の眼は、対象を瞬時にキャッチする高性能のカメラであり、他方かれの心には、すべての物に魂が宿ると信じるアニミズムが巣食っていて、その両者の合作が『大波』を生んだ、ということもできる。それはかれの眼と心性が生んだ幻影―幻影というにはあまりにもありありとした、真昼の幻影とでもいうべきイリュージョン―なのである」。ここで辻氏が指摘するように、単なるイリュージョンでもリアリズムでも捉えきれない「両者の合作」こそが、私がここで言う「マジック・リアル」です。

さらに辻氏は、北斎の写実を超えたアニミズミックな魔術の例として「冨獄百景」の中の「海上の不二」や「英雄を猬で海神節婦義士を溺らす」(『椿説弓張月』続編より)を挙げています。「海上の不二」では砕け散る波頭が千鳥の群れへと変化するメタモルフォシス(変容)を見せます。波文様に千鳥を配するのは日本の文様の定型だが、北斎のこの卓越した演出にはそうした日本の伝統的な定型を破ろうとする意志を感じさせます。また「英雄を猬で海神節婦義士を溺らす」は、海神の化身である龍が竜巻によって頼朝の船を難破させる場面を描いたものですが、ここでは波の凶暴なうねりや砕ける波頭のかたちは龍身とその爪に擬せられ、波もまた海神の化身として全体に同化している。この化身という概念で人知を超えた天外を絡め取ろうとする姿勢は、歌舞伎の荒事芸や、勇み肌に刺青を入れた侠客とも共通するものでしょう。

現代においても例えば、日本のゴシック・ロリータファッション(ゴスロリ)の若者なども、海外のゴシック・ファッションと日本独自のロリータ・ファッションをカスタマイズし、自身の内面の訴えを密かに潜ませている。かつて傾奇者の大鳥逸兵は「廿五までいきすぎたりや一兵衛」(25歳にして俺が求めていた時代が過ぎ、もう少し早く生まれるべきであった、俺の時代ではない)の言葉を刀の鞘に彫り、下剋上の世の終わりを嘆いたといいますが、いつの世もBASARAはそうしたやり場のない切実な訴えを過美な見かけの陰に隠しています。こうした日本のBASARAが伝統的に抱える自己存在のあり方、奇抜な異装に潜む切実なメッセージといった、外面と内面のアクロバティックな結びつき方が私が唱えるマジック・リアルです。そこでは既成の秩序や陳腐な典型といった記号は瓦解し、切実な身体感覚やリアルな生の実感といった原初的な訴求力が生まれます。

Q. この作品が、481万香港ドル(約6400万円)という高額で落札されたことについて、その時のお気持ちはどのようなものでしたか?

オークションの落札額に作家は一喜一憂するべきではないと考えます。しかし、一方で作品とお金は切っても切れない関係性であるのも自覚しており、改めて作品の価値とは何なのかを考えさせられました。

Q. ガンダムやサッカーW杯ドイツの公式アートポスターもそうですが、映画のデザインや広告の出演、また企業やブランドとのコラボレーションなど様々なフィールドでも活躍されていらっしゃいます。他の業界と交わることで受ける影響や刺激などはございますでしょうか。


「蹴球之図」
 882×662mm 2004 ブラックジェッソ、アクリル絵具、金箔、木

他ジャンルとの接触は現代美術や日本画が、非常に狭いジャンルなのだといつも痛感させられます。普段働いていない脳域を使用する作業は身体が活性化され、新たな作品に繋がるよい効果を得られているのかもしれません。


若手作家を発掘


Q. 天明屋さんは過去にキュレーションによるグループ展を開催されていますね。
どういったアーティストに注目されているのでしょうか。

私の考案した「BASARA」「TENGAI」の概念に沿った作家に注目しています。


「武士道シリーズ 宮本武蔵対忍者乃図」
 594x841mm 2020 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木

「BASARA」は先述した通りで、「TENGAI」とは「奇想、天外より堕つ」の言葉に由来し、今日驚きを持って受け止められている江戸時代の絵師たちの「奇想」を現代に甦らせ、権威的な美術のあり方を打破しようとする意図が込められています。商業美術と純粋芸術、伝統美術と現代美術、ストリートアートとハイアートのような制度区分を廃し、イラストレーターやグラフィティライター、刺青師や画壇系作家など様々なジャンルから若手作家を発掘していく試みでした。


制作風景

Q. BASARAの理念を体現する型破りな現代作家を発掘・紹介するプロジェクトとして「TENGAIプロジェクト」を立ち上げていらっしゃいます。
弊社メディア「アートフル」は若手作家に向けてのメディアなのですが、これから作家活動をしていく若手作家に向けてアドバイスなどあればお願いいたします。

ただ待っているだけではなく、能動的であってほしいと思います。

例えばコンテストに出品するとか、SNSで作品を発信する、個展をやってみるなどまずは人に見せる行為が大事なのではないかと。人の目に触れれば世に出る確率が自ずと上がって行き、作品を見てくれた人が今後何かに繋げてくれるかもしれません。よい作品であれば何処かで必ず誰かが見てくれていますから。
一方で、最短距離を求める必要性はないとも思います。よい作品を時間をかけ熟成させてからまとめて一気に出してみる。単発で見せて行くより効果的であるのではないかと。たとえ時間をかけてまわり道をしたとしても、それは実は近道なのかもしれません。

美大や専門学校に通っている学生さん達には、教員の評価なんて全く気にしなくてよいと私は言いたい。教員達は安定した給料制に飼い殺されたのと引き換えに、プライドだけは極めて高くなり、美術家にとって一番大切な「鋭敏な感覚」を失って行く。そんな教員の言葉にいちいち左右されて人生をすり減らしてほしくはない。そもそも美大なんか行く必要もないし、美術の基本を学ぶなら美術予備校だけで十分なんです。


制作風景

Q. 最後に今後、新たに挑戦したい事や目指すべき方向性等ございましたらお願いします。

死ぬまでに映画を1本撮ってみたいです。映画が好きで年間200本位の作品を見ていますが、私が撮ればもっとこうしてあーしてなどと、いつも勝手にいろいろ妄想をしてしまいます。シナリオも考えたりしていまして。マンガも描いてみたいし、小説も書いてみたい。美術の枠にとらわれずにやりたい事はまだまだ沢山ありますから、徐々にやって行けたらと思います。


「槍神」
1030x728mm 2019 ブラックジェッソ、アクリル絵具、木、etc

Q. 今後の展示会や活動予定等ございましたらお願いします。

「川端龍子vs高橋コレクション企画展 -会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃-」大田区立川端龍子記念館
会期| 2021年9月4日〜11月7日

個展「Character(仮)」
会期| 2021年11月2日〜11月20日
会場| ギャラリーMUMON

2022年10月〜 
台湾にて個展開催予定