画家・徳永 雅之「曖昧であることで、そこに現れるリアリティというものがある」 -ARTFULLインタビュー-

作品のすべてが“エアーブラシ” で描かれ、それは見えているようで見えていない、それは光なのかまたは闇なのか、見るものによっていろんな表情を見せる数々の魅力的な作品たち。

今回は、 長年画家として精力的に活動を続ける画家・徳永 雅之さんにエアーブラシの魅力、作品のルーツ、制作過程など、 詳しくお話を伺いました。


徳永 雅之

徳永 雅之
1960 長崎県佐世保市生まれ
1985 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1987 東京芸術大学大学院美術研究科(修士課程)壁画専攻修了

主な個展
1991  かねこ・あーとG1 (東京)
1993  ギャラリーQ (東京)・かねこ・あーとギャラリー (東京)                                                             
1994  ギャラリーなつか (東京)・かねこ・あーとギャラリー 「新世代への視点‘94」(東京)                                           
1997  かねこ・あーとギャラリー(東京)
1998  ギャラリー日鉱「SEQUENCE」(東京)
2000  かねこ・あーと2  「memory」(東京)
2002  かねこ・あーとギャラリー(東京)
2011  ギャラリー健「The Scene of Light」(埼玉)
2012   「The Scene of Light」ギャラリー枝香庵(東京)
「The Scene of Light」KTNギャラリー(長崎)
2013  Art Space 88(東京)
2014  ART TRACE GALLERY(東京)
2016  ぎゃらりー由芽(東京) 
2017  ART TRACE GALLERY(東京)
「Scene of Light」FLAT FILE SLASH(長野)    
ギャラリー枝香庵(東京)
2018       Gallery 美の舎(東京)     
ギャラリー枝香庵(東京)
2019  美容室cotton(埼玉)
2020  kaneko art gallery 『オープニング展Ⅱ』(神奈川)
ぎゃらりー由芽(東京)

主なグループ展         
1995  「やわらかく重く」 /埼玉県立近代美術館 (埼玉)/リーフギャラリー・オハイオ(95-96)                              
1996  「VOCA展’96」/上野の森美術館(東京)
1998  「曖昧なる境界−影像としてのアート」 / O美術館(東京)
2001  「光とその表現展」/練馬区立美術館(東京)
2003  〜2005 「両洋の眼展」日本橋三越本店(東京)松坂屋美術館(名古屋)他
2008  「PVAF」(スコットランド)
2009  「MY Interaction 2009 大久保宏美 徳永雅之」Shonandai My Gallery (東京)   
2014  「絵画と彫刻 徳永雅之×エサシトモコ」ギャラリー由芽(東京)
2015   「形象への眼差し、光景の眺め」展 ART TRACE GALLERY(東京)
2016 「広がる光・育ってゆく断片」徳永雅之☓久木田茜 ぎゃらりー由芽のつづき(東京)
2017 「どこかでお会いしましたね 2017」うらわ美術館(埼玉) 
2018 「いま そこにあるなにか」FEI ARTMUSEUM YOKOHAMA(神奈川)
2019 「どこかでお会いしましたね 2019」埼玉会館(埼玉)
2020 「どこかでお会いしましたね 2020」埼玉会館(埼玉)

パブリックコレクション
2000  特別養護老人ホーム「さくら」エントランスホール壁画制作(東京)
2001  エンターテインメントクルーズ船 「ROYAL WING」(神奈川)
2004  日本サムスン株式会社(プライベートコレクション)(東京) 2008  パークハイアット上海
2017  ソラリア西鉄ホテル京都プレミア三条鴨川
2018  リッツカールトン西安

著書
2008  「Tayutau テルミンの小品と光の絵画 溝口竜也+徳永雅之」(共著)/冬青社

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“エアーブラシ”を使ったのは、絵の具の物質感から解放されたかった



Q. 作風の歴史などありましたら教えてください。

美大生の時にはすでにエアーブラシを使って制作をしていました。

当時の作品制作のきっかけとなったのは古い時代の粗悪な印刷で、それらは色のバランスが崩れてたり、版ズレしてたりしていました。その写真でも絵画にも属さないようなものが気になっていたのですね。

黒を使わないCMYの三原色での印刷の独特の色というものがあって、私は実際にCMYのみでの印刷のプロセスをエアーブラシを使用した描画に置き換えて人物などを描いていました。イエロー、マゼンタ、シアン、の順に色を重ねて描画していくのです。

そのためには頭の中で、描きたいイメージを色分解する必要があるのです。
例えば人の肌の色はイエローをこのくらいの濃度、マゼンタは…というように。

この手法は今の制作の技術的なベースとなっていて、三原色をベースに、少ない色数の絵の具を画面上で重ねて、ほぼ思った通りの色を出せるようになりました。後にはそうやって描いた人物の全身像などを形に沿って切り抜いて自立させ、インスタレーションとして展示をしていました。

卒業後、一旦エアーブラシから離れてみようと、スポンジを使って三原色で巨大なT字型の画面に池を描いた作品を制作し、展示しました。そこに描いた架空の風景がターニングポイントとなり、何かを再現することでは得られないリアリティが目の前に現れました。
曖昧な記憶の中で、最後に残ったもののようなリアリズムがあるのではないかと。

その後試作を重ねて現在の作品のベースになるシリーズを描くことになります。初期の作品は一点につき数枚の和紙(土佐楮局紙)を繋げて描き、ギャラリーの壁に虫ピンで留めるというスタイルでした。
その後、和紙を雲肌麻紙に替え、パネルに張って描くようになりました。

1997〜1998年頃の作品は、現在と比較するとスピード感のある強烈なイメージのものが多かったと思います。2002年頃を境に、和紙+パネルからキャンバスに支持体を変更、現在に至ります。

そして2010年前後からペインティングと並行して独立した作品としてのドローイングの制作を始めました。
現在はエアーブラシを使った線描を追求しているところです。

Q. 徳永様の作品では“エアーブラシ”を使用した作品が多くありますが、このエアーブラシの一番の魅力はなんでしょうか?

物質感の希薄さと「粒子」で描けるところです。



Q. エアーブラシを多く使用することとなったきっかけは何かありましたか?

筆の筆致や、そのテクスチャなど、絵の具の物質感から解放されたかったのだと思います。

写真や映像の持つ粒子による質感に惹かれていた時期でもありましたが、表現手段をそれらに変えるのではなく、それらから受けたインスピレーションを絵画という手法にこだわって展開して行きたかったのだと思います。

それでも、ある時期までは「これは絵画ではなく、そしてなにかの再現でもない映像を描いているのだ」と思いながら制作をしていました。


曖昧なものを曖昧なままで描く



Q. エアーブラシの特性として“曖昧さ”“不透明さ”を感じるのですが、徳永様の作品の意図としてはどうでしょうか?

「曖昧さについて」
私がエアーブラシを使い始めた80年代初頭は、現代アートの60年代に始まったスーパーリアリズムを経由してイラストの世界にもエアーブラシを使ったリアルな作風が広がっていた時代でした。

世の中一般の印象としては、エアーブラシ=マスキングを多用したシャープでリアルな絵というイメージだったように思います。私はそういう作品には全く興味がなかったし、マスキングという作業も嫌いでした。
そしてエアーブラシで描かれた絵画は一部の例外を除き、私にとっては没個性的で皆同じように見えました。

エアーブラシは油絵のように筆致やマチエールの多様性がなく、下手をするとただの「エアーブラシアート」で終わってしまう危険性を孕んでいる道具だと思います。それでもエアーブラシは、曖昧なものを曖昧なままで描くという私の作品の制作に適していました。
絵画的な厚みを感じさせない映像のようなテイストを出せることも私にとっては重要な要素でした。

私は一般的なエアーブラシのイメージ…細かい粒子によるテクニカルなぼかしではなく、低圧で吹いたときの粗い粒子を好みました。そのせいか、90年代はしばしばネコプリント(New Enlarging Color Operation 画像データをコンピューターを経由させて、布や様々な支持体に吹き付け印刷する手法)での出力だと間違われることも少なくありませんでした。
学生時代の頃とは作品のコンセプトが大幅に変わりましたが、描画の道具や手法はそのまま引き継ぐことにしたのです。

よく写真などをぼかして描いているのかと質問されることがあるのですが、私の作品には具体的なモチーフがありません。現実との接点として光や空間、そこに何かがあるといったギリギリの存在感は意図的に画面に反映させながら、即興と画面全体の構築的な判断によって私の作品は生まれます。

その作品は形容詞しか存在しない空間であり、その形容詞は鑑賞者に委ねられます。曖昧であることで、そこに現れるリアリティというものがあると私は思うのです。

「不透明さについて」
私自身はエアーブラシにそのようなイメージは持っていないのです。
なぜなら、色の透明、不透明は使用する絵の具によってどちらの表現も可能だからです。

前述のように、私の作品は基本的には三原色(黃・赤・青)を画面上で重ねて使います。(近年の作品はそれをベースにしながらも使用する色の自由度を広げています)黒を表現する時は不透明色の「黒」を使うのではなく、上記の透明色三色を濃い目に重ねて黒を感じさせます。

最近はスモーキーな雰囲気が欲しい時など、白を混ぜた不透明色を使うことが増えました。画面上の白っぽい色の表現は白で描きます。和紙に描いていた昔の作品の、画面上の白い部分は絵の具を乗せず、紙の地の白を残して表現していました。


94年〜97年頃の作品

Q. 細かな花のような「9611-1」という作品も、すべてエアーブラシで描かれているのでしょうか?

「9611-1」も含め、現在ウェブその他で公開しているペインティングの作品はすべてエアーブラシのみで描いたものです。


長年使用する数々のエアーブラシ達



Q. 主に使用しているエアーブラシの道具について教えてください。種類などありましたら、見せていただけますか?

長く使っている古い道具が多いです。

コンプレッサー/八重崎のカプセルコンをメインにしていますが、キャンバスにジェッソを吹くときにはmakitaのパワーのあるコンプレッサーを使用しています。
スプレーガン/meiji F110(ジェッソ地塗り用)
リッチのRS-508N(描きはじめの大まかな吹き付け用)
ハンドピース(描画用の小さめのエアーブラシ)/ホーミ スーパーリアルシリーズ YT-08 YT-06 YT-03
AZTEK (あまり微妙な表現は出来ませんが、YTシリーズだと目詰まりしてしまうような絵の具はこれを使います)

以上、外側はめったにクリーニングしないので見た目が酷いですが、皆現役です。



ホーミのハンドピースは全て製造中止になってしまい、現在使っているのは20年以上前に買ったものばかりです。
これでないと出来ない表現があるので、中古で探しているのですがなかなか見つかりません。
どなたか譲ってくださる方がいらっしゃると大変助かります。



Q. エアーブラシを使用して作品の制作をする上での難しさ、注意点など何かありますか?

長年使っている道具なので、難しさというものはあまり感じないのですが、アクリル絵の具は使っていると必ず絵の具がニードル(エアーブラシ先端から出ている細い針)にこびりついたりして、絵の具が詰まりやすくなります。
適当なタイミングでクリーニングをしながら使わなければならないので、ある意味とても面倒な道具です。

それから、使用中に換気とマスクの着用は必須です。
私は制作の中盤あたりからは比較的低圧で描くことが多いので、その頃には部屋中が絵の具で煙るということはあまりないですが、それでも細かいアクリル絵の具の霧が瞬時に乾燥し、粉状になって空中を舞う飛沫は大変厄介です。
まず防じんマスクは欠かせませんし、キャンバスに下地のジェッソを大量に吹くときなどは不織布のツナギで全身を覆います。



アトリエの壁や天井はあらかじめ全てビニールで養生してあります。
そこにあるものすべてに細かい絵の具の粉が付着しますから、建築用の養生用ビニールで汚したくないものを覆ったりしていますが、厳密にはぴったりと包んでしまわない限り、隙間から入り込んだ絵の具でなんとなく粉っぽくなってしまいます。
普段着でアトリエに入り、迂闊に養生用ビニールに触ると服に青カビのような色の絵の具の粉が付きます。色んな色が混ざって結果的にそのようなグレーの粉となって積もっていくのです。

私のアトリエは、一般の人がイメージするであろうアトリエの雰囲気とは別物の「作業場」です。そのような場所なので、新しく作品を制作するためにアトリエに入る前には、大袈裟に言えば、ちょっとした勇気がいります。
気合を入れて自分の背中を押すようにして準備を始めます。


インスピレーションは「即興」から「画面の構築」にシフトする瞬間に


制作過程

Q. 作品のインスピレーションはいつ、どのようなときに浮かびますか?

昔は制作の前にエスキースをして、それを元に描いたりしていましたが、現在はエスキースは作らず、いきなり即興的にグレー系の濃淡のトーンを画面に吹き付けたものを発展させて描いています。
白いキャンバスに向かうときにはインスピレーションのようなものは、ほぼありません。

制作のプロセスが「即興」から「画面の構築」に意識がシフトする前あたりから、それは浮かびます。

Q. 今後、エアーブラシを用いて挑戦したいこと、それ以外でも作家として挑戦したいことはありますか?

10年ほど前からペインティングと並行して描いているドローイングの作品は、まだ小さ目のサイズの物がほとんどです。
どんなサイズでも自在に描けるように精進していきたいと思っています。


自分にとっての“リアル”を作っていこう


ドローイングの作品

Q. やはり徳永様と言えばエアーブラシ、のように、自身の代名詞となるような作風や技法は作家としてもっていた方が良いと思いますか?

エアーブラシは今の私の表現に置いては無くてはならないものであることには違いはないのですが、結局は道具の一つに過ぎないと思っています。

使用する道具、技法や作風がはっきりしていると、多くの人に作家の存在を伝えやすいわかりやすさのようなものはあるのかもしれません。「そういう意味では」持っていたほうがいいと言えるかもしれませんが、作家本人は自身のパブリックイメージに固執しすぎない方がいいと思います。

Q. 最後に、これから作家活動をしていく若手作家に向けて一言お願いいたします。

アーティストとして生きていこうと思っている方へ。
その時でしか生まれないものがあると思います。経験を積んだからと言って50代になった作家に20代の頃の作品は作れません。
自分にとって現在リアルなものを作っていけばその蓄積は力になるはずです。他人が期待するものだけを作ることはアーティストにとっては虚しいことです。
そして継続することも才能の一つです。頑張ってください。

ドラマーの一面も 今後の活動にも注目