最高価格98億円!ポップ・アートの巨匠 アンディ・ウォーホル

〜お金を稼ぐことは芸術、働くことも芸術、
うまくいっているビジネスは、最高のアートだよ。〜

【はじめに】
アンディ・ウォーホルというアーティストを知っていますか?キャンベルスープ缶の絵やシルクスクリーンで描いたマリリン・モンローの肖像画といえば、見たことのある方も多いことでしょう。ではどんな人物で、作品の何がスゴイのか、アートをビジネスに変え、ポップアート界のアイコンともいわれたウォーホルについて、今回は詳しく解説していきます。

【生い立ち】
1928年、アメリカのペンシルバニア州ピッツバーグで生まれたウォーホル(本名ウォーホラ Warhola)は、チェコスロバキア移民の両親のもとで育ちました。裕福な家ではなく、病弱で引きこもりのウォーホル少年は、自宅で絵の得意な母に影響を受けながら、絵や有名人の写真を集めるなどして、好きなものを見つけては夢中になっていました。
その当時、母親がよく食べさせていたのが、スープ缶やコカコーラなどの大衆的なモノ。このころの体験が、後の創作活動にとって貴重な時間だったとウォーホルは語っています。14歳で父を亡くし、ますますマザコンになっていったことも、アイコン好きのウォーホル作品に少なからず影響を与えています。

【栄光の60年代の幕開け】
イラストレーターからキャリアをスタートしてアーティストへ転身した1962年7月、ロサンゼルスで個展を開催。そこで発表されたのが「32点のキャンベル・スープ缶」という作品です。これは、キャンベルスープカンパニーが販売していた32種類のスープ缶が描かれ、同じ大きさの作品を過剰に繰り返し反復させる手法は、広告業界の視覚的戦略として培われたものです。

後にウォーホルは「私の昼食は20年以上、キャンベルスープ缶だった」と語るなど、反復が意図的であり、その効果をウォーホル自身が誰よりも理解していました。続けて1962年11月には「100個のスープ缶」「100本のコーラ・ボトル」など、大量生産・大量消費される身近なモチーフを反復した作品を次々と発表していきます。

 そしてウォーホルはコカコーラについて、こんな言葉を残しています。
「 このアメリカという国の素晴らしいところは、大金持ちも貧乏な人たちと同じものを買うという慣習を始めたところだ。コカコーラをテレビで観て、大統領や、エリザベス・テイラーがコーラを飲んでいると知ることができる。そして自分もコーラを飲めるんだと気付くんだ。」
このような考え方はウォーホルが10代の頃に形成され、早くから大衆の心理と文化について深く理解しており、ウォーホルのポップアート作品へと繋がっていったのです。

【アートの大量生産 ファクトリーの誕生】
1964年、ウォーホルは創作の作業場に「ファクトリー」という名前を付け、空間全てが銀色に覆われた劇場のような不思議な空間を作りました。「私は機械でありたい」という言葉を残したウォーホル。

ファクトリーは、その名前のとおり人を雇い、工場のような分業制で、アートが大量に生まれる場所となりました。それまでのアートの「1点もの」とは全く異なる大量生産が可能なアートは大きな論争を起こしました。今では当たり前となっていますが、組織を作り、アートをさらに大きなビジネスへと変えたのです。

またこの小さな空間は、なんでもアリのサロンとしても機能していました。ときには芸術について議論を交わしたり、ときにはドラッグパーティーなどの過激なモノもありました。上流階級や下流階級の区別もなく、有名無名問わず、さまざまな表現者が集う、60年代ニューヨークの濃密で実験的な空気がそこにあったのです。

【最高価格98億円のウォーホル作品】
21世紀に入っても、ウォーホルの作品は色あせるどころか、ますます輝きを放っています。当時は数万円で購入できた作品も今では最高価格98億円に値上がりしたものもあります。現在でもリトグラフなどは数十万円前後で取引されており、ポップアートを中心にコレクションしたい方にもオススメできる作品がウォーホルでしょう。

【おわりに】
ウォーホルの生きていた頃との違いは、インターネットの普及とSNSなどをつかったコミュニケーションツールの変化でしょうか。現代は誰もが簡単に自分だけのメディアを持ち、誰もがインターネットという場所に住んでいます。当時のウォーホルは、今でいうインスタグラムのように、作品のヴィジュアルを不特定多数の人々に拡散させ、共感させる術を持ち合わせていたのです。

今日でも、ウォーホル作品はアパレルブランドなどの多くで発売されています。
今もなお、その存在は強烈に輝き続けているのです。
これを読んで、ウォーホル作品に少しでも興味を持っていただけたら嬉しく思います。