現代アートが起こしているビッグウェイブとは

感性で評価される現代アート


大雑把に分類するなら近代アートの見た目の美しさは誰もが納得できるものですが、現代アートにはそのようなものがあるとは言えないでしょう。
それぞれの作品の評価は全く個人の感覚に委ねられているとも言いやすいでしょう。これを投資対象とするのは、果たしていかがなものかと訝しるもの無理はありません。実のところ、総論的にどうなのかについて触れてみます。

<ピカソの見解>
「アートは常に現代的でなければいけない」と、かのピカソも言っているとおり現代アートはアート界の中心であるべきなのです。そこに時代の要求する情報が積み込まれているのであれば、評価もあって然るべきなのでしょう。
かつてのアート愛好者は、そのようなことはなくほとんど過去の人物の作品にしか興味を示さなかったものです。それがこの20年間、現代を表現できるクリエイターへの人気が高まっているのは、ピカソの先見の明でもあるかのようです。

現代アートの歴史


<歴史は古い>
現代アートは人気が高まり始めた20~30年前に誕生したものではありません。発端は1915年にフランス人画家のマルセル・デュシャンが画家の枠を飛び越えて、身の周りの物全てがアートで有り得ると宣言したところからとされています。これは何でも自分がアートだと言ってしまえば、それがアートであるとも言っているようです。

それに対しアートを見る者がどう反応するかが、アートの市場価値となって表れるようになってきたのです。この頃から資産を図る物差しは貨幣だけではなく金やプラチナでもあるが、そこにアートも加わったとデュシャンは叫んでいたともされているのです。

<プロモーターの役割は大きい>
現代アートに目を付けているのが、作品を仲介するプロモーターです。新しいアーティストを発掘しギャラリーなどを経由してコレクターに紹介しては、作品を高く売らせることで利益を得る構図も登場してきたのです。

中には一部の大口コレクターが気に入っただけで、そのアーティストの作品が高額で売買されるようにもなっていたりします。そうなると、アーティストも高額な商品の生産者として作品を要求されるようにもなっていたりです。これはごく普通に起こりえる経済循環の一環となったかのような様相でもあるのです。

現代アート市場の安定さ


2007年までの現代アート市場は、まさにひと頃のバブル経済を思わせるものでした。それが2008年の金融危機によってダメージも受けましたが、1年もすれば元の活況を戻しています。実はそのようなことは、2001年のITバブルの崩壊時にも起こっているのです。
これから先もおそらく同様のことが繰り返されるのではないかと想像もされます。それは経済が順調な環境にあっては投機的な資金の投入が行われ、逆に不況化にあってはリスクヘッジ対象として選択されやすいからです。いつの世になってもステータスとして外したくないのが、アートでもあるでしょう。

またアート市場は欧米中心だったのが、中国、インドを始めとするアジア諸国にも広がってよりグローバルとなっています。日本国内では草間彌生のようなアーティストの登場ばかりが注目されていて、市場として投資先としての認識は世界に比べて低いままと言えます。
日本がどうであれ、より大きな資金が世界を頻繁に動くことになっていくのに必至になっています。これによりこれまで順調だった現代アート市場は、将来的には見えづらくなるのかもしれません。

市場を取り巻く人々が多くなればなるほど思惑だったり心理だったりが働いて、どんな波を起こすかも決まってきそうなのです。これらは現代アートの不確定要素にはなることも忘れないでおきたいものです。