初期キリスト教美術、ビザンティン美術、初期中世美術、ロマネスク-美術ヒストリー

美術ヒストリー


初期キリスト教美術

 紀元300年代になるとローマ帝国内における最大勢力となったキリスト教は、集会の場所に課題がありました。それは「パシリカ」と呼ばれる集会所にあった装飾性について、神の家に彫像を置くことはあってはならないものだったからです。そして6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世は「文字が読めない者にとって絵画は大いに有意義なものである」と推奨しました。当時、教会の図像について反対する声もあったため、教皇の発言は大きな意味を持ちましたが、次第に容認されやすい美術が残っていく方向となったのです。それがよく表れているのが「パンと魚の奇跡」という絵画作品です。ギリシャやローマに見られた躍動感はなくなり、キリストが正面を向いてパンと魚を分け与えようとしたその姿は、素朴でありながら静謐な世界を創り出しているのです。

ビザンティン美術

8世紀の中頃になると宗教的な図像は全て禁止する勢力が優位となり、754年には宗教美術が禁止されます。しかし反対する勢力の全てがローマ教皇グレゴリウス1世に同意していたわけではなく、図像は神聖なものとして考えられました。そこで彼らは偶像禁止の勢力と争わない巧妙な策を思い付くのです。それは「図像を崇拝するのではなく、その向こう側にいる神や聖人を崇拝し、私たちは決して異教徒ではなく仲間である」ことを目的としたものでした。そして、ここから約1世紀に渡る時間が過ぎて、再び図案が開かれた時代が訪れた時、絵画は神秘的な世界を映す鏡としての役割が一層強まりました。つまり、聖像(イコン)は神聖化され厳格に守られたのです。服の描き方などに細かな写実性が高まり、月日が経つにつれて、徐々に自由な表現が広がるようになっていったのです。

初期中世美術

「中世美術」のお手本といえばケルト美術に他なりません。それは800年代に描かれた聖マタイの絵を見ると明白です。エジプト人が物事の事実を描き、ギリシャ人が見えている世界を描いたのに比べ、初期中世美術の時代に突入すると「知覚して感じたこと」を描くようになります。その代表作が「彩色写本」という飾り文字で描かれた技法です。これを見ると明らかにただ美しいものを描いたのではなく、信仰の世界やメッセージを観念的に伝えようとしていたことが分かります。これが後の「バイユーのタペストリー(制作年不明)」に見られる絵代記へと結実するのです。物語はノルマン人によるイングランド遠征の話であり、進軍の勝利を生き生きと描いています。余計な描写は省略して、物語の根幹部分に焦点を当てて描かれることで、より記憶に残りやすい作品となっていることも特徴です。

ロマネスク

 ロマネスク様式とそれ以前の様式との大きな違いは、パシリカ(教会建築)を見れば一目瞭然です。それまではエンタブラチュアと呼ばれる装飾性のある大梁で支えていたものが、円形アーチで支えられるように技術が発達しました。その代表作の一つがフランス・アルルにある「サン=トロフィーム聖堂」でしょう。これによって装飾性や窓が少なくなり、頑丈な要塞を思わせる建築が可能となりました。ここでいう「装飾」はただの飾りではなく、全て役割を持っており、教会の理念と結びついています。特徴的な柱の上部分である半円形の部分をティンパヌムと呼びますが、そこには「栄光のキリスト像」と呼ばれる作品があり、4つの象徴が描かれています。これは聖書が由来となって、獅子、天使、牛、鷲を、それぞれ聖マルコ、聖マタイ、聖ルカ、聖ヨハネの4人の福音書記者が、神の玉座を支えていることを表しています。優雅さではなく厳粛さを感じるのもロマネスクの特徴でしょう。

著者:アートノミクス@金融&アートライター